韓国語で海苔の事を、なぜキム(김)と言うの?

海苔の事を、韓国語でキム(김)と呼びますが、なぜ、海苔はキムと呼ばれるのでしょうか?

海苔がキムと呼ばれることになった由来ですが、朝鮮王朝実録などの資料によると、韓国において海苔づくりを発明したキム・ヨイクさんの姓に起因するといわれています。

海苔がキムとなった由来

キム・ヨイク(김 여익)さんは1606年に全羅道光陽にて,6人兄弟の次男として生まれました。

その後、キム・ヨイクは丙子の乱(병자호란)が発生した1636年に義兵を起こしました。義兵とともにソウルの戦地にたどり着いたとき、既に戦が清に降伏すると聞き故郷に帰ったのですが、先祖への面目がたたず、1640年から太仁島(태인도)に住み始めました。そこでキム・ヨイクは、海に浮かんでいた木に海藻が引っかかているのをみて、海苔養殖を試みたといいます。

海苔は、もともと海の深いところに住んでいる海藻ですが、韓国、日本、中国などに分布していて、特に韓国、日本で好んで食べられています。韓国の沿岸では、海苔は10月頃に現れ始め、冬から春に繁殖します。夏にはあまり見られません。

海苔は、以前は家畜の餌などとして利用されていましたが、現在、私たちの食卓に上がる海苔は、キム・ヨイクが태안도に住んでいた、1640年から1660年頃に作られたものとされています。これは、日本が世界初の海苔養殖発祥としている元禄時代(1688〜1703)よりも前の出来事です。

キム・ヨイクは、熟した松や栗の枝を利用した海苔養殖方法を創案し、販売を行いました。当時、海苔は岩などでコケのようにこびりついていて、ヘテ(해태)とも呼ばれていました。

キム・ヨイクは、また、海苔を乾燥させる方法も研究し、その結果、藁を編んで作った海苔篊の上に、海苔を薄く伸ばして乾燥した後に切り離す乾燥方法を開発しました。

その後、キム・ヨイクは1660年に、その生涯を終えました。

以後、光陽の海苔は王室に捧げる特産物として人気が高かったのですが、王がこの食べ物の名前を尋ねたときに知っているものがおらず、「光陽地に住むキム・ヨイク氏が作った食べ物です」と答え、それに対して王がキム・ヨイク(김 여익)の姓を取ってキム(김)と呼ぶよう命じたのが由来です。

現在でも、全羅南道の光陽市にはキム・ヨイクを称える施設があり、1987年に全南記念物の第113号に指定されました。

参考サイト:
朝鮮王朝実録
– https://ko.wikipedia.org/wiki/%EA%B9%80_(%ED%95%B4%EC%A1%B0%EB%A5%98)
– http://www.gycitizen.com/news/articleView.html?idxno=4207
– http://www.traveli.co.kr/read/contentsView/2965/26
– https://m.blog.naver.com/yellowo71/10124517693
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